大山咋神(おおやまくいのかみ)はどんな神様?ご利益と神社紹介
オオヤマクイノカミのご利益と神格出典:大山咋神(Art Mochida Daisuke)オオヤマクイノカミとは?オオヤマクイ神は、日吉(日枝)神社や松尾大社の祭神として、その霊威が広く全国に広がっています。大山に杭(咋)を打つ神、つまり大きな山の所有者を意味し、山の地主神であり、農耕を司る神とされます。農業や醸造の神として有名です。名称古事記/先代旧事本紀/地祇本紀大山咋神(おおやまくいのかみ)山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)別称大山咋命(おおやまくいのみこと)大山積神(おおやまつみのかみ)大山津見神(おおやまつみのかみ)大山祇命(おおやまつみのみこと)和多志大神(わたしのおおかみ)山王権現(さんのうごんげん)神格比叡山の地主神天台宗の護法神農耕振興の神醸造の神ご利益農業守護醸造守護厄除け家系繁栄家系繁栄関連神父神大年神(おおとしのかみ)母神天知迦流美豆比売(あめちかるみずひめ)妻神建玉依比売命(たけたまよりひめのみこと)子神賀茂別雷命(かものわけいかづちのみこと)あなたの「金運」を強力に引き上げる祈祷師の護符農業守護や酒造守護の神格出典:日本の神々辞典京都府の浮田明神の伝承によると、太古の昔、湖水であった丹波国一帯をオオヤマクイ神が切り開いて国土にしたことから、人々は感謝して祠を建てて祀ったとされます。この話からイメージされるのオオヤマクイ神は国土開発の神としての姿。実際にその御神体は鍬(くわ)であるということから、農耕振興の守護神として崇められていたのでしょう。こうした性格から深く関係するのが、オオヤマクイ神が松尾大社の祭神で秦氏の総氏神だったということ。5,6世紀ごろ朝鮮から渡ってきた秦氏は、山城国や丹波国を開拓し、農耕生産を興し、松尾山の神を一族の総氏神として祀っていました。それが京都最古の神社といわれる松尾大社です。この松尾大社のオオヤマクイ神は醸造の守護神として崇敬を集めています。本来、酒造とは関係のない神でしたが、松尾大社近くの秦氏の氏寺・広隆寺の境内に祀られていた大酒神社の神と合祀され、醸造の神としての神格を備えるようになったとされます。もともと農業神としての性格をもっていたことから穀物から生まれる酒の精霊とも容易に結びついたのでしょう。この松尾大社では11月初旬の上卯祭では、醸造業繁栄祈願の祭として有名で全国の酒造業関係者が集まるそうです。丹塗矢伝説で有名な神さま神話伝承のなかでもオオヤマクイ神は丹塗矢(赤く染まった鏑矢)に化身する神霊として知られています。山の精霊であるオオヤマクイ神が、矢となって若い乙女のもとを訪れ、結婚して御子神を生む神婚説話で、いわゆる丹塗矢伝説といわれるものです。『古事記』には比叡山の日吉大社に鎮座するこの神は「また葛野の松尾に坐まして、鳴鏑を用つ神(鳴鏑神)なり」とあります。鳴鏑とは鏑矢の鳴る音のこと。【山城国風土記】の加茂縁起では、松尾の神(オオヤマクイ神)が丹塗矢に化身し、タマヨリヒメ命のもとを訪れ結婚してカモワケイカヅチ命が生まれたとされます。丹塗矢伝説は、矢に化身した穀霊と巫女との神婚の秘技を反映したものという解釈が通説となっています。新しい穀霊の再生によって豊穣を願う古代の農耕祭祀が考えられ、矢に化身するオオヤマクイ神は豊穣神とされます。記紀の丹塗矢伝説丹塗矢を見つけた建玉依比売命あるとき、オオヤマクイ神が山へ狩りにでかけていたとき、獲物に向けた矢がはずれ、小川に落ちて流れてしましました。その矢を下流にいたタケタマヨリヒメ命が拾い上げます。それは丹塗の美しい矢だったので、寝所に飾って毎日眺めているうちに、いつの間にか妊娠してしまいます。これはオオヤマクイ神が丹塗の矢に化身していたからです。この時点では夫たる神の正体がわかりません。タケタマヨリヒメ命がいよいよ出産すると、父神である賀茂建角身命(かものたけつぬみのみこと)は誕生を祝って七日七夜にわたって宴を催しました。そして生まれた孫神に、「父親と思う神に神酒を注ぐように」と命じます。御子は言われるがままに盃を持ち天に祈ると、雷鳴がとどろき、たちまち天に引きあげられたという。ちなみにオオヤマクイ神の義父にあたるカモノタケツヌミ命は、神武天皇(神倭石余比古命)はを大和に導いた神とされます。神武天皇を導いた八咫烏と同一神という説もあり、大和国の葛城に移り住み賀茂県主(かもあがたぬし)の祖となります。そのためオオヤマクイ神は、賀茂氏につらなる氏族の氏神とされます。比叡山の山神が全国に広がった理由オオヤマクイ神はもともと比叡山の山の神(地主神)で、延暦寺の鎮護神としての顔ももっています。延暦寺都の縁は平安遷都後の延暦二十五年(大同元年 808年)伝教大同士・最澄が、比叡山の山頂に延暦寺を創建したときに、古くからこの山の地主神として鎮座していたオオヤマクイ神を寺の鎮護神としたことに始まるそうです。そのときにオオヤマクイ神が鎮座する日吉大社を、最澄が渡った唐の天台山国清寺の山王祠という社の名にちなんで「日吉山王」と呼ばれるようになりました。やがて仏教風に日吉権現、または山王権現と呼ばれます。オオヤマクイ神は、もともと比叡山周辺地域の人々が信仰する素朴な山の神でした。その性格を大きく変化させ、今日見るような全国で祀られるようになったのは、やはり最澄の広めた天台宗と結びつきからでしょう。天台密宗は、鎮護国家、増収延命、息災といった具体的な霊験を加持祈祷によって実現するという体系を備えていました。その布教が全国に広まるとともに、オオヤマクイ神の存在も全国に広がっていったとされます。大山咋神が祀られている神社早来神社北海道勇払郡安平町早来大町173羽山神社宮城県大崎市古川馬櫛字羽山4中山神社大仙市内小友字森東106日枝神社栃木県栃木市大平町下皆川1504日枝神社東京都千代田区永田町2-10-5日枝神社富山県富山市山王町4-12更級横田神社長野市篠ノ井横田303日吉大社東本宮滋賀県大津市坂本5-1-24松尾大社京都府京都市西京区嵐山宮町3三木神社三重県尾鷲市三木浦町440岡山神社岡山県岡山市北区石関町2-33山神社愛媛県松山市11宇波神社島根県安来市広瀬町宇波521御堀神社山口県山口市大内御堀17-81その他全国の日吉神社、日枝神社、松尾神社
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